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戦後詩年表の作成に着手しているが、 手許に水川兄から預かった「ユリイカ」1960年8月号がある。 しかし、その7ページから22ページまでの、16ページを占める アレン・ギンズバーグの長詩「吠える」(Howl)の部分が そっくり切り取られている。 1963年頃、片肺の切除手術をしたばかりの横浜の同人Yが 「これは凄い!」と感歎の声をあげ、 どうしても貸してくれ、すぐ返すからと ひったくるようにして横浜埠頭から去ったまま、 いまだに杳として行方が知れないのだった、 という。 これは、同人Yが引きちぎったのではなく、 水川兄が切り取って持ち運びできるように 厚い表紙をつけていたものという。 戦後詩年表は1960年代が中心なんだけど、 肝心の水川兄が脳梗塞後遺症で 記憶が飛んでしまっていて、あてにはできない。 いきおい、あちこち調べて回らねばならない。 夏のあいだに完成するかどうか あやしくなってきた。 「お茶の子日誌」をみてみたら、 2000年の2月にもビートの話題があって 何日間か、次のようなことを書いています。 -------------------------------------------------------------------- ギンズバーグの「吠える」(諏訪優・訳)が『ユリイカ』誌に掲載されたのが…… 特集「ビートジェネレーション」の1960年8月号でした。 2月号の付録に、ギンズバーグの長詩「アポリネールの墓で」が 掲載されていて、それより以前だと思いこんでいたのです。 この時期、アメリカでは既にビート・ジェネレーションの 一群の詩人たちは主要な位置を占めていて 日本でも盛んに紹介されていたのですが、 『ユリイカ』(伊達得夫編集)に掲載されて、 若い人たちに対して、いっきに その影響度を強めるわけです。 しかし、 近年、手帖誌などでビート特集があっても、 ビート的作品というのはほとんど見た覚えがないけれど、…… ------------------------------------------------------------------- 「ユリイカ」誌の「吠える(Howl)」(諏訪優訳)と、 古沢安二郎氏訳の『咆哮(Howl)』のどちらが 早かったかは、水川兄の記憶があいまい。 兄によれば、諏訪訳よりも先に、 細木さんに古沢訳本を借りて読んだようだと いうけれど、はっきりしない。 ま、ローレンス・リプトンの『聖なる野蛮人』(荒地出版)が それよりも早かったと思うけど。(註: 1960年7月) ちなみに、古沢訳のJ.ケラワック(ケルーアック)『地下街の人びと』が 刊行されたのは、1959年7月(新潮社)で、 兄や友人らはリアルタイムで読んだといいます。 で、60年1月号は「現代詩手帖」が 「ビートジェネレーション」の特集号だったらしい(?)。 ずっと「詩学」の海外情報欄で、諏訪さんらによって ビートとその周辺のリトルマガジンの情報が さかんに入ってきていたのですが、 「現代詩手帖」が前年の59年6月に創刊されて、…… で、60年3月に詩集『十五才の異常者』(藤森安和)が 出て、マスコミの話題になり、 前年からのジョン・オズボーン『怒りをこめてふり返れ』の イギリス<怒れる若者たち>派の詩とビート派の詩とがヤングパワーで、…… -------------------------------------------------------------------- ギンズバーグは1955年頃から Howl and other poems を 書き始め、56年完成してシティライツから刊行、 発禁処分になって、裁判。 57年秋、無罪を勝ち取って、解禁。 同書は版を重ねて評判になる。 60年1月号「現代詩手帖」ビートジェネレーション特集。 60年2月号「ユリイカ」付録、ギンズバーグ「アポリネールの墓で」 60年7月、ローレンス・リプトン『聖なる野蛮人』荒地出版社 60年8月号「ユリイカ」ビートジェネレーション特集 同号に、ギンズバーグ「吠える」全訳、諏訪優 60.12.3.には「ビートの文学を語る会」(東京「ポエトリー」主催)もあった。 で、古沢訳『咆哮』(那須書房)刊行は61年らしい。 次いで、諏訪優『アメリカ現代詩手帖』思潮社刊が出る。 62年3月には「ポエトリー」誌の片桐ユズルさんの『ビート詩集』国文社が出た。 63年には、ジャズと詩の会「DOIN’の会」から 諏訪優著『アレン・ギンズバーグ』が低廉なハンディ版で出る。 65年、諏訪優著『ビート・ジェネレーション』紀伊国屋書店 諏訪訳『アレン・ギンズバーグ詩集』(思潮社)が出て、 ビートジェネレーションの評価が決定づけられる。 (同書は、68年に改訂版が出される) 70年には支路遺耕治の他人の街社から 諏訪優『吠える 決定版』が刊行されている。 ------------------------------------------------------------------- >メモ アメリカは、大戦勝利国ですから、 敗戦国でアメリカ軍に占領された日本の 戦後世代と、アメリカのビート世代とを 直列して論ずることはできない。 >メモ 1962年に邦訳が出たノーマン・メイラーの 『ぼく自身のための広告』(上・下)には、 1950年代のビートニクやヒップスターらの、 定義や思想や行動などについて「解説」があって、 ここに出てくるような彼等のファッション(風俗・生態)は、 日本ではもう少し時代が下がって、 プレ「フーテン時代」に現れたらしいです。 すなわち、60年代後半から70年にかけて、 70年安保の前後でせう。 -------------------------------------------------------------------- 1958〜60年ごろにスィートなヒップだった水川兄は語っている──、 「当時、大阪の若者で、肩から下に垂れるほどの 長髪スタイルは自分以外にみかけなかった。 理容店では、日本画家・書道家にまちがえられた」と。 東京では、環育夫氏(詩人)が長髪の天然パーマで、 鋏を持って店から飛びだしてきた理容店主に 「たのむ、ただでいいから切らせてくれ」と なんども追いかけられたという。 ------------------------------------------------------------------- > 60.12.3.「ビートの文学を語る会」 当時、片桐ユズルさんは東京在住だった。 ここから、いわゆるオーラル派(中山容さん、 秋山基夫さんら)が形成されたようだといえるかも。 詩の朗読グループとしては、 ジャズに関心をもつDoin'の会ができて、 諏訪優さんを筆頭にビート詩をさかんに論じて いましたが、佐藤文夫さんらは今も現役のようです。 (Doin' は、Doing の略形。) 当時はほかに詩とシャンソンの会もあった。 水川兄なども「余興」として「へたな」シャンソンと 称するものを詩誌の付録に付けたりしたとか。 -------------------------------------------------------------------- ──などと書いている。 すっかり忘れていた。 LARA ... |
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私も確かカンダの古本屋の店先にゾッキ本として山積みされた古沢訳を、安く買って熟読しました。 |
のいり 2005/03/13 10:01 |
のいり様 |
LARA 2005/03/14 07:55 |
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