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"ビットウェイブックス"などの電子書籍ページをみていたら、 講談社電子文庫の一冊に『日英対照・実用ことわざ辞典』があった。 2003年3月から販売されているらしい。700円、税込み735円だ。 あれっ、と思った。これ、新書判の辞典として、1999年に、 「講談社辞典局編」で出版されたものの電子書籍版らしい。 で、サンプルをみたら、「本文執筆・水川真」とある。 やはり、同じものだった。 その当時の、水川兄の話では、どんな辞典でも刊行されたら いち早くそれを読んであれこれ、誤植やら解説のおかしい点を 指摘してくる"辞典マニア"のような人たちがいるとのこと。 刊行直後に来た読者からの質問は、案の定、 「三千世界の鴉(からす)を殺し 主と添寝(そいね)がしてみたい」を 「木戸孝允」の作としているが、これは「高杉晋作」の誤りではないか と、いうものだった。 まあ、巷間、高杉晋作を作者とする説がもっぱらで、 こういう"論議"を呼ぶ部分を辞典に記述した点については、 いささかまずかったと反省しているという。 が、指摘された都々逸の作者は、やはり、「木戸孝允」の作であるとしている。 その"証明"として挙げると、 徳間書店から、1986年10月に刊行された、 『【二十六字詩】 どどいつ入門 ─古典都々逸から現代どどいつまで』という "ロングセラー"の一冊があるのだが、都々逸のことゆえ、一般には あまり知られていないようだという。 著者は、中道風迅洞 (本名:了丈)氏で、斯界の第一人者である。 この本の奥付に、中道氏は大正八(1919)年生、早大卒とあり、さらに、 NHKテレビ文芸部長、芸能局長など各部局 長、同関連団体役員などを歴任。 詩人・エッセイスト。 現代どどいつ教室主宰、詩季同人、 日本エッセイストクラブ会員。 日本サイ科学会顧問。 昭和五十三年以来、NHKラジオ文芸選評 「折りこみどどいつ」選者。 と、ある。 本書の特色の一つは、さまざまに異説・巷説がいりみだれている "都々逸"について、その歴史を実証して、正確に記すことである。 前置きが長くなったが、(この本、実に面白いのだが) 急いで核心の「三千世界」の部分へ飛ぼう。 三千世界の鴉(からす)を殺し 主と添寝(そいね)がしてみたい 幕末から明治初期にかけて、おびただしく都々逸など俗謡集の類書が 刊行されているが、実は、この都々逸の初出は、 明治31年に出たラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、 "GLEANINGS IN BUDDHA-FIELDS" (『佛の畠の落穂』) である。 …日本の民謡に見える仏教思想の間接的な影響という章に、「因果」「縁」 「輪廻」「地獄」などという詞句の使われた歌がたくさん紹介されている。 「長州の木戸の作」として 三千世界の鴉を殺し 主と添寝がしてみたい が紹介翻訳されているのは、「三千世界」という仏教用語があるためである。 This my desire: To kill the crows of three thousand worlds, And then to repose in peace with the owner of my heart! そして、これを引いて、帝国大学教授だった法学博士・和田垣謙三氏が その著『兎糞(とふん)録』(大正2年、至誠堂書店)で「俗謡英訳」として紹介、 その注釈に「こは維新当時に於ける故木戸公の作なり云々」と原文のままに なっているのに、これをさらに、採録した例の湯朝竹山人(俗謡研究の権威)の 『小唄漫考』(大正15年)にはどういうものか「これは維新当時に於ける 高杉晋作の作なり」となっているのは解せない。 竹山人は重ねて「博士(和田垣氏)は高杉晋作の作といふてをられる。(中略) これは久坂玄端の作だといふ人もあり、確認がないため作者は疑問となって いる」という注釈をつけているのは、『兎糞録』の読み違いかと思うが、 原書では木戸公の作であるとし、この歌のなかに勤王の志がかくされている と述べているので念のため書き添えておきたい。 と、中道氏が記述されているように、 小泉八雲の著書から、和田垣博士が引用紹介したのを、 さらに湯朝竹山人氏が引く際に、なぜか、「和田垣博士が 高杉晋作作だと言っている」ように書いたということだ。 明らかに、誤引用である。結果として虚偽を書いたことになる。 引用の引用の元、原文では正しくは「木戸孝允作」である。 湯朝竹山人氏は当時の俗謡研究の権威であり、著書も数多い。 その湯朝氏が「高杉晋作の作」としたせいもあってか、以後の類書では 高杉晋作説がじょじょに広まった。 げに、「著述出版」や講演というものはおそろしいものである。 なお、中道氏によると 九尺二間に 過ぎたるものは 紅のついたる 火吹き竹 は、明治元年戊辰戦争で負傷、会津へ向う途中42歳で没した河井継之助 の作だといわれている、としている。 註: 「〜添寝がしてみたい」は、その後、俗に「〜朝寝がしてみたい」と変えて 口誦されることが多いようである。 LARA ※4/18、一部字句修正加筆。 ※4/19、〔追記〕 水川兄の言うには、「朝寝」には、妓女のふてぶてしさが 感じられるという。後朝(きぬぎぬ)の交りさえ連想させて露骨である。 「添寝」であるからこそ、妓女の切なさ哀憐さが伝わってくる、という。 ... |
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都々逸>三千世界の鴉と"桂小五郎"
これは、都々逸>三千世界の鴉と木戸孝允のフォローです。) 「三千世界の鴉を殺し 主と添寝がしてみたい」という都々逸(どどいつ)の作者が 木戸孝允だといっても、ピンとこない向きもいらっしゃるでしょう。 実は、木戸孝允は、幕末の志士としては、「維新の三傑」といわれるほどの大活躍をした 桂小五郎なのです。 ...続きを見る |
きのふはけふのものがたり@WebryBl... 2005/04/24 06:29 |
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