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help RSS 文集〔詩サイト考〕2000年版(1)

<<   作成日時 : 2005/05/24 14:30   >>

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〔お茶の子日誌〕2000.4.16〜2000.5.24
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No.0220 2000年04月16日 午前09時22分

◇詩サイト考(1)
詩サイトも3000を越え、かねてよりの予測のように
実際は、この倍以上存在すると思われるのですが
(日々新規に平均数箇所はbookmark追加している)、
これ、ひとつのWebを、ひとつの詩誌とみなすことが
できるでせう。多数はいわゆる個人詩誌であり、
少ないけれど、グループ誌があり、
最近ふえつつあるのが、投稿・寄稿専門詩誌、
それらの批評・感想もだんだんと忌憚のないものが
出てきています。
形態として、紙の詩誌とはことなっているところが
あるのは当然のことですし、
さらに、画像処理・AUDIO・動画等を駆使したものも
少なくありません。フォト詩やヴィジュアル詩、
朗読詩などインターネットの特性を生かすものも
少なくありませんし。

  ※註:当時、ホームページで、詩関連サイトのBookmarkリストを掲載していたが、
     掲載終了時には、7,700サイト以上に達した。

これらの詩誌は、詩集形式をもつものも少なくなく、
また、詩集とまではいかなくても
多くはバックナンバー付きの詩誌ということが
できるでせう。
紙の場合でも個人誌では、紙一枚に単純に
作品を2,3篇のせただけのものから
(ハガキ形式もある)、
詩以外の文章いろいろのせ、寄稿ものせ、
編集後記等も備えたものまでいろいろあるように
Webでもいろいろあるわけで、
とりわけ、日記・日録のたぐい、掲示板を
備えたサイトが多い。
掲示板はまあ、投書欄であり、通信欄であり、
読者相互の親睦・交流欄でもあり、
紙の個人誌ではそこまで備えているところは
めったにないでせう。
(紙では、電話・郵便・オフ例会等を用いる)

インターネットWebの一大特長としては、
これらをすべて「リアルタイム・オンライン」で
行なえるというところにあるわけで、
(Chatは、その最たるものですが、サーバー負荷を
考慮して、採用しているサイトは少ない。ここでも
一時置いていましたが、利用者が殆どいないので廃止)、
この点、紙媒体の印刷・発行・配布に要する時間とは
比べるべくもなく、即時対応、即時配布が
可能な媒体であり、
しかも、制作配布部数は「1」部制作で、「全」部数を
まかなえる(配布する)ということができるでせう。

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No.0221 2000年04月17日 午前03時49分

◇詩サイト考(2)
オンラインでつらつら思いつくことを
書いていますので、まとまりのないところはご容赦。

で、紙の詩誌の総量に匹敵する、あるいは
それ以上の量がWeb上にあるわけですが、
(むろん、「月刊ポエム」や「詩とメルヘン」誌等に掲載の
いわゆる「現代詩」とは傾向を異にするものも含めて)
いずれにしろ、ここに「今日(こんにち)の詩」を
志向しているものとその作品が大量厖大に現象しているわけで、
「現代詩手帖」や「詩学」等の商業詩誌が
ほとんど無視している(むろん、たまに特集したり、
関連の評文を載せたりしているが)領域でせう。
「そんなことは気にすることはなく、どんどん
やればいいわけで」というのがM兄の意見ですが、
実際に、一部の書き手を除いては
ほとんど紙の商業詩誌のことなど念頭になく、
「書く−発表する」場(媒体)として、
初めから、Webから入って(選択して)おり、
Web活動で試行錯誤し、Webを通じて
みずからの「詩」行為を実践しているわけです。

全国の紙の詩誌を総覧することは、商業詩誌や新聞等の
詩誌評担当者ならいざ知らず、ふつうの書き手や
読み手には相当の年月をかけて収集しない限り
無理なことですが、Webでは、それを短期間で
行なうことが可能です。
たとえば、Club のBookmark(1)の詩関連サイト一覧を
毎日少しずつクリックして読んでいけばいいわけです。
(サイトのタイトルで、だいたいそこの趣旨・内容が
知れるようになるでせうし、)郵便で取り寄せるような
紙の詩誌に比べて、非常な短時間で
内容を確認できるわけです。

その気になれば、目にする詩作品の量は桁外れに多く、
また、多くの詩作者と接触ができ、
さらに、書き手ではない読み手の多くにも遭遇することが
可能で、それらは掲示板・メール等を通じて
交流・意見交換も可能なわけです。

とにかく、これらのWeb現象は、従来の「紙の詩誌」を
主とする「詩活動」のあり方をかなり変貌させている
わけで、(根底からひっくり返しているとまでは
いわないけれど)、もし「詩界の地図」があるとしたら
「とっくにそれを塗り替えている」とさえいえるでせう。
(紙の詩誌を主とする「詩史」「詩年表」では
まだまだ軽視されることになるでせうが、
そのような詩史・年表は何年も前から価値を失いつつ
あります)

現状、大半がばらばらに散開している詩サイトを
どのようにnetwork on networkしていくか。
たとえば、Yahoo!等の検索エンジンのリザルトリスト
もカテゴリ別に利用できるし、
総体的にはここのBookmarks(1)も全体把握の一助に
なるでせう(将来的には一言コメントを付けるべきかも)。
要するに、全体と、多少の傾向別に区分できれば
いいわけで、それ以上の階梯やら序列を
付けるべきではないでせう。

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No.0262 2000年05月04日 午後12時53分

◇詩サイト考(3)

思いのほか、<詩投稿>関係のコンテンツが
ふえています。

1)詩投稿をメインとするサイト
2)自作+投稿詩
3)自作+ゲスト寄稿+投稿詩
4)詩以外のメインコンテンツ+投稿詩(+自作)
5)その他

ま、1は「繭」「詩人ギルド」「POEM CLUB」あたりでせう。
投稿は、

a)投稿専用掲示板
b)投稿はメール等で行い、
  b-1)投稿詩のページに掲載
  b-2)専用掲示板に掲載
c)他の用途も兼ねた掲示板に投稿
d)a,cの場合、さらにページを別建てにして
  掲載するサイトもある
e)その他

など、とりあえずざっと分類して
上述のようですが、
「感想・批評」を拒否するボードもあるし、
「感想・批評」を受け付けるか否か、作者が選択表示しているサイトもあるし、
必ず「感想・批評」を付けるというサイトもあります。

投稿詩と同じ掲示板に「感想・批評」をポストできる場合と、
別建ての掲示板にポストする場合とがあり、
中にはまれに、「感想・批評」もメールで、というサイトもある。
だいたい「感想・批評」は読者に任せられていて、
だれも付けなければ、たいていは管理人が行うというのが
多いようです。

こうなってきますと、2,3の場合など、
親しく交流する人たちがそれぞれの主宰する詩サイトに
投稿ボードをもち、お互いに投稿しあうということが
すこしずつふえてきます。
これが「徒党組み=派閥意識」「ミニミニ詩壇意識」
「詩人・論客きどり」などの弊害を発生させていきかねないわけです。

相互の投稿ボードで、社交辞令もまじえつつ、
「ほどほど」に評しているうちに、
評価水準の低下せしめていき、親疎による妥協、作品外の要素による判断など
眼が少しずつ曇り、「いなか」雑誌の<師匠と弟子>の
ようなことに堕しかねないわけです。

これを回避するには、
まず「(常に)絶対に褒めない」ことですが、
ま、むりでせう。
詩作の場合でも「褒めて育てる」が有効だと
考える人もいるし
(なによりもその「育てる」意識が問題なんだけど)、
「多少は褒めなければ客が来ない」というわけで、
相互に主宰サイトをもっている身ですから、
「褒められたら褒め返す」という悪しき「相互主義」が
ここで働く。
明確に思っていなくても、深層心理的に作用してきたりする。

投稿する側としては、自分の主宰する詩サイトがあると
投稿で<学ぶ>というよりは、<いっぱしの詩人として
認められたい>という意識が強くなってきがちでせう。
かくして──、
<いっぱしの詩人気取り>がふえてくる。
(ほかにもいろいろ要因理由はあるでせうが)

別に<詩人気取り>がふえても、いくらいらしても
かまいませんが、それはそれだけの存在だということでせう。

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No.0297 2000年05月24日 午前09時12分

古今の幾多の作品に接して
生成されてきた「詩」という観念が
ありますが、
新体詩−近代詩以降に限っても
表現形式は「一行詩」から「散文詩」まで
あまりにもさまざま。
ま、だいたいのところ十数行から数十行の
「行分け詩」が大半を占めるのでせうが、
単語羅列的な文体から日常平叙文体までが
また種々に混在混用されているわけで、
結局のところ、作者が「詩」だといえば、
それが「作者のいう詩」であり、
読者が「詩」だといえば、それが
「読者のいう詩」であるというほかないわけで、
相互的に(間人的に)肯定・否定を重ねて
個人の「詩」意識、詩作品意識が醸成されてきて、
ある程度の「共通主観」のようなもの、
いわゆる普遍性のようなものがあるといえるでせうが、
個人主観の「詩」とは当然ズレがあるでせう。

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No.0298 2000年05月24日 午前09時27分

短歌や俳句など、独得の形式(や方法等)を
もつものは、そこに詩性を認めても
ふつうは「詩」とはいわずに「俳句」とか
「短歌」とか呼んでいるわけで、
短歌・俳句等のジャンルに入らないような作品を
「一行詩」(あるいは短詩等)と呼ぶようですが、
短歌等でも多行形式のものもあり、
連歌・連句形式(や長歌形式等)もあるわけで、
「短歌性」「俳句性」の有無が
問われたりするようです。
さらに自由律の俳句・短歌ともなると
いわゆる「詩」との境界が不分明になってくるでせう。

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No.0299 2000年05月24日 午前09時44分

俳句作者(俳人)・短歌作者(歌人)等も
「詩人」と呼んだりしますが、
「詩」の作者を一般に「詩人」と呼んでいる
でせうから、「詩」というものを発表し、
その作者自身が自分を「詩人」と称しても、
いっこうに自由なわけで、
要は他人(読者)がそれを「詩」と認めて
その作者を「詩人」というかどうかとは
いちおう別だということなのでせう。

 ──人は生まれながらに詩人である
 ──恋しているとき、人は詩人になる
 ──こどもは、天性の詩人である
等々のいう「詩人」もあれば、
小説・随筆等の作者までも含めて総称的に
「詩人」ということもありますが、
ま、「ふつうには、(近代詩以降の表現形式による)
詩という言語表現物=作品を制作し、発表している人を
詩人という」ことになるのでせう。
で、結局は、たとえば読者であるわたしならわたしが
その作品を「詩」である、「詩」であろう等と
認めなければ、その作者を「詩人」とは呼ばないことに
なるのですが、
いちいちそんな判断をしないで、他者が「詩人」と呼ぶ人を
便宜的に自分も「詩人」と呼ぶ場合もありえるわけです。

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                LARA
...

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